フリャジノ (Fryazino)
首都モスクワ市の北東35キロメートルにあり、クリャージマ川水系のヴォーリャ川の支流リュボセイェフカ川が流れる. 人口は2010年国勢調査で55,369人、2002年国勢調査で52,436人、1989年ソ連国勢調査で53,317人.
1584年から1856年にかけて、グレブネヴォ、フリャジノフカ、チゾヴォの各村が現在のフリャジノ市の位置にあった. 1584年から1586年のモスクワ郡の土地台帳には「リュボシフカ川沿いのフリャジノフカ村とサムソノフ村」への言及が見られる. この時代にはボグダン・ベリスキーの領地であった. 彼はリュボシフカ川沿いのグレブネヴォに邸宅を構えたが、これは後にガリツィン家やトルベツコイ家などの大貴族の地所となった.
18世紀後半には絹織物の工場が建ち、1791年にはグレブネヴォに大きな生神女聖堂が建った. 20世紀初頭に大きな繊維工場やレンガ工場が建ち、フリャジノは工場の町としての発達を始めた. 十月革命の後、工場の国有化が進み、周囲は労働者の集落となった. 1938年に都市型集落となり、1951年には市となった. 当時の人口は12,000人ほどであった.
1930年代よりフリャジノには無線工学・電波工学の工場があり、1940年代にはいくつかの研究所が建つようになった. 以来、無線通信や電波の研究施設が集まり、2003年には科学施設が集積する都市に与えられる「科学都市」の地位を得ることになった. 2009年10月にはロシア経済の近代化と技術開発に関する会合が大統領ドミートリー・メドヴェージェフを議長としてフリャジノで開催されている.